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坂を上って

百年の時を経て、浮かび上がった道、よみがえった空

 ねずみの巣だった荒れ家が取り壊された。門先に立ち、ゴロゴロとむき出しになった石積みの上を見上げると、人が通り、車が行きかう道がある。「こんな風景があったんだ」と、些細なことが胸に沁みた。家々に囲まれた空間から雲を見上げた日々。それから開放された喜びは大きい。

*坂に面した家0506_339

 ふるさとの家は中津川宿(なかつがわじゅく:現・岐阜県中津川市)の旧中仙道に面した下町(しもまち)にある。かつて、ゆるやかな坂道になっていて、安藤広重が描いた柳の枝が垂れる大川から、駒場(こまんば)へと続く道であった。江戸の頃、本陣から5分ほど離れたこの辺りは、わが家がポツンと建つくらいだったという。

 家の門を背にして左には急坂があり、その先に間(はざま)酒造の杉玉が見える。坂の上にはお塔頭(たっちゅう)さまがあり、祠が祀られている。なかなか趣のある眺めだ。間酒造の前の枡形の道を曲がると、途中に銘菓で名高い川上屋がある。江戸末期に暖簾をだしたお店で、くず栗を集めてつくった中津川名物の栗きんとんは、他の店よりおいしいのではないかと密かに思っている。
 
 祖母が母に伝えた話では、いま中仙道といわれている新道は、明治につくられたものだとか。旧道から一軒分離れた位置に、坂の傾斜をなくすため石垣を積みあげてつくった道だという。そして、道が移動したことで空き地が出現した。となると、ここに住みつく人が出てきても不思議ではない。案の定、「川原の石が敷かれ流木が組まれ、あれよあれよという間に、何軒かの家が建った」そうだ。

 このため、我が家に面した旧中仙道は裏通りとなり、いまは幅1メートルほどの小さな道を、数軒の住民が利用するだけ。行き交う人の姿より、猫の足跡のほうが多いかも。

*遮断された道 
 門から右を眺めると、かつてここが中仙道であったとはとても思えない。数歩のところに、中村(なかむら)地区から引き入れた用水があり、高さ30cmくらいのコンクリートが道を遮っているからだ。この用水は新道の地下をくぐらせたた土管から、一つは旧道にそい、もう一つはわが家の庭を通り抜けて、杉野町(すぎのちょう)で合流している。数十年前まで、旧道ぞいの用水には橋がかかっていたのだが、公道にもかかわらず、道沿いに住む人が通り抜けることができないようにしてしまったのだ。いやはや…。

 そこの主はどこかへ行ってしまった。そして、道は未だに道でないままだ。

*ぽっかり開いた空
 いいもわるいも、子供の頃は隣家がすぐ鼻先にある感じで、私は裁縫をするおばあさんの傍らで、空を見上げ、あの山の向こう、あの雲の彼方へ行ってみたいと思っていた。

 昭和30年代、わが家の敷地内にはおじさんの印刷工場があった。いくつかの要職についていた父は顔が広く、それやこれやで、いろいろな人が出入りした。ある年、おじさんの工場が経営難に陥った。父は負債を肩代わりし、工場を引き継ぐことになり、母は勤め人の妻の身から、職工さんにまじり汗水流して働く身となった。紙で切った指の傷の間にインクが染みて痛そうだった。はた目にも厳しさが伝わった。

 10数年後、おじさん家族は引越し、工場は青木という場所へ移転した。ほっと息をついだ父と母は、工場跡に離れを建て、おじさんたちが住んでいた跡地には日本庭園をつくった。子供たちが遊び、犬が走り回った原っぱは、「雑木林風にしよう」と、二人はせっせと木や下草を植えた。

 ゆるゆると時が流れ、木々がこんもりとした林になったとき、父は病に倒れ長い在宅介護の末、4年前に亡くなった。一人になった母は、ぽっかりとあいた胸の隙間を埋めるのに必死であった。

*街道から俯瞰する
 今年の3月、思いもかけず、ふるさとの家の視界が開けた。新道と旧道の間にあった荒れ家が取り壊されたからだ。広がった空から春の陽射しが風と共にゆれ、庭の梢で踊っている。車が行き交い、人の気配がする。時として、世の中から隔絶されるような感覚に陥いった空間が、新たに息を吹きかえしたのである。

 新道にあがり、荒れ家のあったところから、わが家を眺めて驚いた。門の脇にある石灯籠、梅や桃の木、母屋の前の松、平屋建ての薄墨に光る屋根…。もとは隠居部屋だったと聞くわが家。何代にもわたり築きあげてきた家人の思いがいまも息づき、そこかしこに百年の香りが、立ち上っていたからだ。

 花粉が飛び、埃が舞う春。季節の変わり目に大儀そうな様子の母だったが、手を引き、坂を上り、街道にあがった。母はわたしが思った以上にその場にたたずみ、声をなくした。金沢の地から縁あって嫁いだ先で起きたもろもろが、走馬灯のようにかけていき、あらためて「清(きよ)ちゃんの家っていいね…」とつぶやいた。清ちゃんとは父のことである。

 私も、中仙道の新と旧を上り下りする小さな旅を母として、ほのぼのすることができ、沈む夕日に思わず手を合わせていた。


 
  

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