「幸せ」と、じゃれあう
♪幸せは歩いてこない。だから歩いてゆくんだねーーーーーー♪♪
「幸せの形」その2: 猫にかつら
話は古いが、今年の4月2日付けの新聞を見ていて、はたと目が点になった。2005年度朝日広告賞で、「準朝日広告賞」をとった、スヴェンソンの猫の写真である。
あれれ----,シャクティ・スタジオで飼っている、われらの愛猫、タイガーに似ているけど、なんだか様子が変だな!? タイガーは、トラ柄で首筋のヘアーは長い。拾い猫ながら、元はノルウェー・ジャン・フォレスト・キャットか、メイン・クーンという種類では?と思うほどだ。(ま、よくある飼い主の欲目かも…。)
で、またよくよく写真を眺めると、その横に、<見た目も行動も自然。自分の頭髪と変わらない生活を実現するカツラ>とのコピーが。
なんと、ライオンの鬣(たてがみ)に似せて、猫にカツラをかぶせていたのであった! しかもこの猫、まだ若い。生まれて一年くらいのように見える。カツラをかぶる年代(?)でもあるまいが。
ライオンのたてがみは、大きく長く立派なほど、メスにもてるらしい。そんなことをどこかで聞いたことがある。人は、カツラをつけると、はげている状態より若く見え、溌剌とした印象を与えやすい。異性にアピールするだけでなく、身だしなみの一環として利用する人もいるだろう。
カツラは内気になりやすい人の心を開放的にさせ、社交性をもたせるための、コミュニケーション・ツールかも。
ただ、スヴェンソンの「ネコライオン」を見てたら、モデルの猫くんがいじらしくなってきた。だって、カツラなんかなくても十分、いい男(女かも)なんだから。まっすぐ、前を見詰める目のつぶらなこと!少女マンガのヒーローのように、目の中に星が光っていて、いい感じ!!
モデルをしていた時間はどれくらい? ご褒美はもらえたのかな? 出演料がカツラだったら…。きっぱり断るよね。まだ、小判のほうがいいって(なわけないか…)。
ーーまぁ、 人の場合、カツラをかぶって、それで幸せになれるのなら、それでいいようね。
それにしても、幸せを実感するのは自分の心。人目、はた目も大事だけれど、それより、「ネコカツラ」を笑い合える友が、一人でも二人でもいるほうが、やっぱ、わたしは嬉しいかな。
*笑い合えるひととき
最近、とても大事な友が病で伏せた。出会った頃、態度でかいなぁと思い、最近も「なにさぁ!」なんて思うことも時々あったけど。そんなこんなのじゃれあいが、懐かしさに変わるほど、遠くの場所に行って、見舞いに行くことすらできなくなってしまった。
一緒に笑い、踊り、口喧嘩し、食事した。幸せの形なんて、なかなか見えないもんだけど、共に過ごした時の重みが、じんわりと温かく体に沁みこんで来る。--あぁ、これかもね、幸せって--と思う。
幸せは見えないからこそ、なんだかんだと、無駄なことも含めて、一所懸命、身づくろいするのかも。生きている間は、「幸せ」らしきものと、じゃれあっていけたら…。
言葉の窓: 猫に小判
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