――流すなら血よりも涙 (イタリアのことわざ)――
10歳の少女は
「泣くもんか、泣くもんか…」と唱えた。
「涙を流すことは、ストレス解消になる」という。
それなのに、涙をこらえ、素の顔を見せまいとしたときがある。小学校3年生、10歳のときである。
ある日の昼休み。(季節は覚えていない。)白いチョークをもち、黒板に向かい何かを書いていた。と、一人の男の子が近づき、スカートをずり落とそうとした。
振り向きざまに相手を睨む。とたんにパシッとびんたが飛び、頬に痛みが走った。殴られたことが悔しくて、ものもいわず席に向かったが、無視したことがいけなかったのか、少年は火に油を注がれたようになり、席についたわたしの頬を何度も叩いた。
ジンジンとした熱さが頬を包んだが、なぜか涙はでてこなかった。ただただ、少年を睨んでいただけだ。
この騒動に、気づいた子は少なかった。席が窓際の前のほうだったこと、昼休みで多くの子が運動場に出ていたからだ。それでも、居合わせた子たちがいる。彼らは一様に貝のように押し黙り、少年に注意する子はいなかった。
運動場から戻ってきた子達の中で、ざらついた教室の気配を感知した子もいたようだが…。
ぽつんと、取り残されたようで、孤独だった。「あ~ひとりなんだぁ」と、このとき初めて強く意識したような気がする。「仲のいい子でも助けてくれない」という思いに襲われた。
午後の授業が終わるまで、机の一点を見つめ、「泣くもんか…、泣くもんか…」とつぶやいていた。不思議なのだが、わたしを殴った少年を「憎い」という思いはなかった。
少年は乱暴な子、粗雑な子といわれていたが、それほど悪い子だと思ったことはなかった。生い立ちを知っていたからかもしれない。たくさんの兄弟がいて、お父さんを早くに亡くし、ボロや屑を集めて家計を助けていた。丸坊主で小柄な体、大きな目がクルクル動く、やんちゃな顔の子だった。給食を残すと、「残しちゃだめだ」と小突かれたこともある…。
あの日、ようやくランドセルを背負い教室を出た。家へ帰るのがいやだった。母はわたしの顔を見たら、きっと少年を責めるだろう。気が重かった。子供の内輪もめに、大人が介在することを、本能的によしとしなかったからだ。
家族に顔を見られまいとうつむき、背を向けて家に入った。が、紫色になった頬を隠しとおすのは無理だった。母は驚き、その日のうちに学校へ連絡を入れた。
翌日、先生は少年の名前を伏せて、「このようなことを起こさないように」とみんなに向かって注意した。それで一件落着。少年はその後、わたしに悪戯をしてこなかった。時どき、彼はいまどうしているのかな?と思うことがある…。
それにしてもあの時、涙がでてこなかったのは、なぜだろう。20歳を過ぎてから、ドラマを見て涙したり、歌を聴いてほろっとしてみたり、30歳すぎて、「涙の数は女の勲章よ」と強がってみたりしているが…。
「子供の世界に生きている」という、潔癖な少女なりの、自負のようなものがあつたのだろうか。それで涙が出てこなかったのだろうか。
*言葉の窓*
「流すなら血よりも涙」
イタリアのことわざらしい。いつまでも争い、血を流すよりも、泣いて終わりにしたほうがいいという意味かな!? 真意はわからないが、そう解釈したい。
Recent Comments