料理上手は、カッコいいよね。
今夜の料理は、何にしようか?
そんなことを考えるのが、愉しくなった。ここ数年のことだ。
以前は、お腹が空くと、すぐ何かを食べたいと、気がはやり、ついついお惣菜を買ってしまっていた。もちろん、今も帰宅が遅くなるときなどは、そうだが。その頻度が少なくなっている。
最近、あまり手の込んだものをつくろうと思わなくなった。それがよかったのかも。
筋肉に効果のあるたんぱく質、エネルギーに変わりやすい糖質、からだを調えるビタミン・ミネラル類などが、過不足なくとれるよう、おおまかに考えて、まずその日食べたい主菜を考える。
ありがたいことに、グーグルやヤフーなどを検索すれば、いろいろレシピを拾い出すことができる。「はなまるマーケット」や「今日の料理」も、感謝感謝の番組だ。
若い頃、料理に関わる仕事をしていたことがある。そのときは、料理するということが、ちっとも愉しくなかった。食べることは好きだったけれど、ね。しだいにその仕事が苦痛になった。
ところが、わたしの周りにいる人は、みな料理上手だった。
母はダイナミックな(そう感じた)エビフライが得意だった。
親友のWamiちゃんは、冷蔵庫内のものを使って見事に変身させるテクをもっていた。
チャミさんは、お惣菜はもとより、魚介料理が上手だった。
そして、シャクティは肉料理とサラダ、カレーの美味しさを教えてくれた。
そんな友人をもつことで、徐々にからだの中に、つくることの愉しさが染みたのだろうか。ここにきて、料理に開眼したようだ。実にシアワセだ。
料理をするようになって、以前のマーニャを振り返り、なぜ料理しなかったのか考えてみた。で、感じたことがある。敗因は幾つかある。
* 1週間の献立を考えようとした。(うまく作ろうと気が急いた。)
* 本格的な料理本を攻略しようとした。(それに反し、初めて買った『3分クッキング』が、いまでも役立っている。)
* 栄養バランスをあれこれ考えすぎた。(で、結局、外食、中食が多くなり、栄養的にはアンバランスになっていた。)
* 冷凍食品に頼りすぎた。(食品にかかる費用が嵩んだ。)
いまは、冷蔵庫内のものをチェックし、旬の手ごろな価格帯のものを購入するので、エンゲル係数も少なくなった。
お正月に、母やお嫁さんに喜ばれたレシピがある。「リンゴの寒天」と「長芋の花型」。
ようやく、ベテラン主婦に褒められた。
*****まーにゃの戯言***********
こがすまじ蜜にとろける林檎寒 笑子
毎年、母は「日の出」を床の間に飾る。
「林檎寒」はカメラに収め忘れたが、「ツバキきんとん」は少し残っていたので、パチリ。
ただ、形が崩れていて、やっぱり雑だなぁ、と反省。
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